(A)哲学ってなんだろう?
「哲学」というのは英語では(フィロソフィー)です。(フィロ)は「愛する」、また(ソフィー)は「知恵」という意味のギリシャ語から来ています。ですから、「哲学」というのは全体として「知恵を愛すること」を意味します。しかし「知恵を愛すること」とはどういうことでしょう。
たとえば皆さんが「どの大学を受けようか」と迷っているとします。その場合、皆さんは、大学の「沿革」などを調べてみるでしょう。あるいは「偏差値」といったことが気になるかも知れません。ところでそのように調べながら、皆さんが、「待てよ、自分はそもそも何のために大学にいくのだろうか」とふと自問したとします。そのときそこで問題になっていることは、さっきまでのこととはずいぶん違う事がらですね。ここでは、同じ「大学進学」が、先ほどの「どこを受けようか」といったことに比べて、はるかに根本的な形で問題になっていると言ってよいと思います。実はこのような問いかけこそが「知恵を愛すること」なのです。
ここで「どこの大学を受けるか」という問いと、「そもそもなんのために大学へ行くのか」という問いの違いを作り出していたものを特定すれば、それは「そもそも」という小さな言葉でした。つまり、「哲学」というのは、「そもそも」という言葉を先立てて問いかけることと簡単に言ってもよいのです。どんなことについてであれ、私たちが「そもそも」と問い始めるとき、そこに「哲学」は成立しています。「そもそも自分とはなにか」、「そもそも人生とは…」、「そもそも幸福とは…」。
地球規模で大きく価値観が揺らいでいる現在、私たちはさまざまに迷いながら生きています。そんなとき、このように一瞬立ち止まって「そもそも」と問うことは避けられないことですし、また、避けてはならないことでしょう。立ち止まることなく、最速・最短の答えを求めるのが現代社会ですが(その典型が受験勉強かも知れません)、そのような時代の中で、「哲学」は私たちの足もと近く、静かにその出番を待っているのです。(写真は、冬の外濠公園から見える法政大学ボアソナード・タワー)