和辻哲郎文庫
― 貴重な文献多数、全蔵書2年がかりで整理 ―
和辻哲郎生誕百年にあたる昨年(一九八九年)、法政大学所蔵和辻哲郎文庫の完全整理が丸二年がかりで完了した。和辻のほとんど全蔵書が一括して法政大学に譲渡されたのは、和辻没後の昭和三十六年であった。蔵書を散逸させたくないとの和辻照夫人の切望と友人谷川徹三氏の斡旋の結果であると聞いている。
それから長い年月が経過し、大学紛争中所蔵図書の散逸が危惧されたこともあったというが、ともかく今回その全部が入念かつ周到に整理され、独立の和辻文庫として全貌が利用者の前に示されたことは大変喜ばしい。和辻家と谷川氏に対してもやっと責めは果たしたと言えよう。
幸い第三次「和辻哲郎全集」(岩波書店)の刊行中であり、和辻の全業績の積極的再評価の機運が高まっている時だけに、和辻文庫完成の意義は大きく学内外の注目を受けるだろう。
初めに和辻と法政大学との関係についてふれると、和辻は法政大学文学部創設当初の大正十一年四月から京都大学へ転出するまでの三年間、教授として在職した。法政大学図書館には、大正十二年五月和辻哲郎寄贈の印のある『偶像再興』初版(大七)本がある。
和辻の法政時代は短いが、それ以後の発展を準備する重要な時期であった。日本精神史研究を講義しながら他方西洋思想の源泉的研究にも従事し、精力的多面的に活動した。なお和辻が東大教授になってからも一時期法政大学で倫理学講義を担当したことがある。
さて和辻文庫の主要特徴について言うと、総冊数約五千冊(和洋の比率二対一)で、分野は哲学を主とし人文・社会科学の諸方面に渉り、多彩である。書名の列挙は省くが今日入手しがたい貴重な文献が多数ある。
しかし何と言っても文庫の最大の価値は、多数の書物中に和辻自筆の大量の書き込みのある点である。書き込みは傍線や符号から要約・疑問・評語まで種々雑多だが、和辻の研究方法や思考の機微が端的に知られ、じつに興味深い。この書き込みの検討によって専門的利用者は、和辻の思想生涯の秘密の現場に立ち会うことができ、研究上多大の便益を受けるだろう。
和辻思想の特徴は、単線的な進歩史観や近代化論に囚われず、広大な多元的世界史的視野の中で、本質直観的思考と旺盛な想像力によって日本文化の独自性を生き生きと捉え、ひいては人間精神の根源へ肉薄する所にある。そこに偏りが生じる場合にも様々のすぐれた示唆が含まれている。和辻文庫が和辻思想の特徴を間接的に示す極めてユニークな文庫として、今後の研究の貴重な資料になることは間違いない。(文学部教授 濱田義文)
[「法政大学報」(No.9 1990年)から転記、写真は別]
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